Art blakey's Jazz Messengers - Dat Dere
Moanin'-Art Blakey&the Jazz Messengers-Live
アメリカ合衆国のジャズ・ピアニストで作曲家。 牧師の息子として生まれる。フィラデルフィア音楽院に進学し、最終的にはトレニアーズの許でリズム・アンド・ブルースを演奏する。1956年にケニー・ドーハムが率いるジャズ・プロフェッツのメンバーとなり、同年5月のライブで初めて録音を経験した。その後はチェット・ベイカーやソニー・スティット、メイナード・ファーガソンと共演している。世界的に名を揚げたのは、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズのメンバーとしてであった(在籍期間は1958年〜1959年および1961年)。1959年から1960年までキャノンボール・アダレイとも共演するが、1960年に再びブレーキーの許に復帰してアダレイを落胆させた。J・J・ジョンソンとも共演して、自身のトリオを率いることができるようになった。ほかにもハンク・モブレーやリー・モーガン、ドナルド・バード、チェット・ベイカー、ケニー・バレル、ソニー・スティット、メイナード・ファーガソン、アート・ファーマー、ペッパー・アダムスの録音において伴奏者に迎えられている。1974年に肝硬変のため38歳で夭折した。ティモンズのピアノ奏法は、レッド・ガーランドに受け継がれた。ティモンズはソウル・ジャズのピアニストに位置付けられるが、フレージングにおいては次第にブルースやゴスペル寄りになっていき、レス・マッカンやラムゼイ・ルイスに影響を与えた。作曲家としては、ブレイキーに提供した《モーニン(Moanin')》や《ダット・デア(Dat Dere)》、キャノンボール・アダレーに提供した《ジス・ヒア(This Here)》といったヒット曲を次々と世に送り出している。これらの楽曲はいずれも、ゴスペルに如実に影響されたソウル・ジャズ様式の典型である。