Walter Davis, Art Taylor, Doug Watkins, Zoot Sims 1958
John Lewis Show-Arthur Taylor |
アメリカ合衆国のハード・バップ・ジャズのドラマーおよびパーカッション奏者。ニューヨーク生まれ[1]。ハード・バップやジャズの完成に貢献した[1]。ハーレムにおいてソニー・ロリンズやジャッキー・マクリーンと活動を共にし、1948年にハワード・マクギー楽団とともに初舞台を踏んだ。 引き続いてコールマン・ホーキンス(1950年-51年)やバディ・デフランコ(1952年)、バド・パウエル[1] (1953年、1955-57年)、アート・ファーマー(1954年-55年)、ジョージ・ウォーリントン(1954年-56年)、ジョン・コルトレーン[1]と共演している。その後は自身の楽団「テイラーズ・ウェイラーズ(Taylor's Wailers)」を率いてセロニアス・モンクやマイルス・デイヴィスと共演した。1957年には、ケニー・ドーハム・カルテットの初代メンバーとなっている。1958年にドナルド・バードやボビー・ジャスパーと演奏旅行を行なった。1963年に渡欧して、その後20年間を主にフランスに(1970年からはベルギーに)逗留し、地元のグループや、訪欧中のデクスター・ゴードンやジョニー・グリフィンと共演した。1982年に、ミュージシャン仲間とのインタビューや対話から、著書『音符と音(英語: Notes and Tones: Musician -To Musician Interviews)』を書き上げた。1990年代に米国に帰国するとフリーランスのミュージシャンとして活動を続け、1993年に「ウェイラーズ」を再結成した。テイラーは30年以上にわたって録音活動に携わり、自身のリーダー・アルバムを、ヴァーヴやブルー・ノート、プレスティッジといったレーベルから発表している。1995年2月6日逝去、65歳[1]。死因は不明[1]。少し前にジミー・スミスと新アルバムを完成させたばかりだった[1]。同世代のモダンジャズドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズとスタイルが酷似している。 |