Bemsha Swing
in France 1979
1986 - Live
Live in Rome 1983
Prince Lasha
ニュージャージー州ニューアーク出身。1962年18歳でエリック・ドルフィーとの共演、これが初レコーディングとなる。ホレス・シルヴァーグループやアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズというジャズの名門グループに参加する一方、ジャッキー・マクリーン、ジョー・ヘンダーソン、マッコイ・タイナー、チック・コリア、アンドリュー・ヒル、ラリー・ヤングといった新世代のミュージシャンとも共演し、ハード・バップからアバンギャルドまで一歩進んだ演奏スタイルで、'60年代後半以降から'70年代にかけてフレディ・ハバードと並ぶ実力派のトランペッターとして注目される。しかしながら、複雑でややもすると難解に聞こえるフレーズの多用や生真面目すぎる演奏スタイルのためか、スター的人気には到らず「過小評価、不当な評価」と言われることが多い。'70年代、多くのミュージシャンがフュージョンブームに乗ってロック・ポップ調のスタイルに移行していく中、ウディは伝統的スタイルながらもハードでアグレッシブなジャズを貫き、数々の力作を残した。1974年、ミューズ、1977年、CBS(コロムビア・レコード)と契約。中でもコロムビア・レコードから発表されたRosewood (1977)やStepping Stones (1978)は'70年代の硬派ジャズの名盤として人気が高い。1989年2月、ブルックリンで地下鉄のホームから転落(弱っていた視力のせいともいわれる)し左腕を切断。その後の経過も思わしくなく、同年5月に死去した。