"Misty & I Want Talk" Live Montreux 1972
I Eye Aye
Roland Kirk 1970
live 1973 - Bologna
The Inflated Tear [Live in Prague, 1967]
Blue rol-Rahsaan roland kirk -live
サクソフォンやフルート、イングリッシュホルンなど、多種多様な管楽器を演奏した。気魄がみなぎる演奏で知られ、舞台上での超絶的な即興演奏には、コミカルなおふざけや政治的な暴言、複数の楽器を同時に演奏する技能が加わっていた。数本のサクソフォンを首にぶら下げ、大柄な体躯に黒眼鏡をかけたいかつい風貌や、鼻でフルートを鳴らしながらスキャットを奏で、時に自ら歌い、手回しサイレンやホイッスルなども手にとり鳴らすといった演奏形態が奇異に受け取られたためか、日本国内では「グロテスク・ジャズ」と紹介されていた時期もある。反面、近年では、形にとらわれない奔放なスタイルや、パワフルで親しみやすく、かつブラックミュージックの伝統に根ざした表情豊かな演奏によって、ジャズにとどまらない多様な方向性を感じた若い世代から信奉されている。 リーダーとして自らのバンドを統率することを好み、サイドマンとして演奏することは滅多になかったにもかかわらず、編曲家のクインシー・ジョーンズやドラマーのロイ・ヘインズと共演して録音を行なっており、また、ベース奏者のチャールズ・ミンガスとは一定期間の共演を果たした。録音に遺されたカークの演奏で最も名高い実例は、映画『オースティン・パワーズ』の主題歌に転用されたクインシー・ジョーンズの1964年のヒット曲《ソウル・ボサ・ノヴァ》である 。 1977年にインディアナ大学学生生協のフランジパニ・ルームで演奏を終えた後、二度目の発作によってインディアナ州ブルーミントンで亡くなった。