エロル・ガーナーは1921年にペンシルベニア州のピッツバーグで生まれ、音楽好きの両親の影響で3歳よりピアノを弾き始める。彼はこの頃より、ジャズやクラシックのレコードを手当たり次第に聴くなどして、ピアノの演奏法を独学で習得していく。この独学、そして上記のように楽譜が読めなかったことや左利きだったことが彼の独特な音楽的感性と技術を育てていくこととなる。1944年にニューヨークに渡り、1947年には当時全盛を誇ったサクソフォーン奏者チャーリー・パーカーとの共演を果たしている。1954年には「ミスティ」(Misty)を発表。評判になる。後に作詞家のジョニー・バーク (Johnny Burke) により歌詞がつけられ、1959年にジョニー・マティスによって歌われ大ヒット。その後も何人もの歌手によってカバーされるなど、ジャズのバラードにおけるスタンダードナンバーとなるほどの大成功をおさめた。翌1955年にはカリフォルニア州カーメルでのライブを音源としたアルバム、「コンサート・バイ・ザ・シー(Concert by the Sea)」や「コントラスツ(Contrasts)」を発表。大ヒットを記録。彼の才能が証明されるとともに、後世のジャズピアニストにも影響を与える作品となった。彼は世界的に名声を得て各国の都市で演奏を披露するとともに、多大な作品を創作し続けた。1977年1月2日55歳で死去。