ミズーリ州セントルイスに生まれる。高校の時からプロ活動を始め、1940年代になると地元のクラブで演奏し、また大戦中は海軍バンドと演奏した。その後、チャーリー・バーネット(1947)、カウント・ベイシー(1948-1951)、デューク・エリントン(1951-1959)、クインシー・ジョーンズ(1960)の各バンドに在籍。この間の演奏スタイルは他のバンドリーダーは勿論、マイルス・デイヴィスらにも影響を及ぼした。その後NBCに移り、初のアフリカ系アメリカ人スタッフミュージシャンとなる。10年程、トゥナイト・ショーのレギュラーとして、ドク・セバリンセン(tp)をトップとするTonight
Show
Bandに参加する。ここで彼の愛称Mumblesが定着する。1970年頃からはフリューゲルホルンに楽器を持ち変え、活動し始める。1970年に結成されたBig
B-A-D
Bandでは彼がリーダーとなって1980年代までツアーを行った。また同時期から90年代までカーネギー・ホール、リンカーン・センターなどでも演奏し、ニューポート・ジャズ・フェスティバルにも参加している。この間にもジャズの演奏は続けており、J・J・ジョンソン(tb)やオスカー・ピーターソン(p)、ボブ・ブロックメイヤー(tb)らとのセッションも行っている。2000年以降、彼がホストとするジャズフェスティヴァルを開催、ジャズキャンプも行い、後進の育成にも務めている。来日も何度かしている。